本資料は、和田卓人氏(t-wada)が AI DevEx Conference 2026(2026年7月23日)で登壇した発表資料(rev.32)です。 2025年から2026年にかけて起きたソフトウェア開発の大きな変化を振り返り、 「Vibe Coding → Agentic Coding」 への進化、AI前提の開発ライフサイクル、 そして新たに生まれた 「認知負債」 という概念について深く考察しています。
特に 「思考は外注できるが、理解は外注できない」 という核心的なメッセージを軸に、 AI時代のソフトウェアエンジニアリングが直面する本質的な課題と、それに対する実践的な解決策を提示しています。
2025年はソフトウェア開発にとって歴史的な転換点となりました。主な出来事:
t-wada氏は、AIとの協業を次の2つのモードに整理しています。
| 項目 | AI と伴走(直列開発) | AI に委託(並列開発) |
|---|---|---|
| 方式 | AIと対話しながら直列で開発 | 自走するAIたちに任せて並列開発 |
| 速度 | 「委託」に比べて遅い | 圧倒的に速い |
| コントロール | 高い | 低い(レビューが課題) |
| 性質 | traditional: 決定論的だが、人力でスケールしない | emerging: 非決定論的・確率的だが、非常によくスケールする |
2025年中盤には伴走モードが確立され、2025年末から2026年にかけて委託モードへの移行・拡大が進んでいます。
委託モードの拡大により、レビューが担っていた厳密さは、より前段の工程へと移動します:
| 時期 | エンジニアリングの名称 | 本質 |
|---|---|---|
| 〜2024年 | プロンプトエンジニアリング | 仕様の言語化・構造化(Spec by Example)。LLMへの指示・意図の言語化 |
| 2025年 | コンテクストエンジニアリング | 暗黙知の形式知化、オンボーディングの円滑化。「DX」そのもの。LLMに渡す情報のキュレーション |
| 2026年2月 | ハーネスエンジニアリング | 自動化への投資、CI/CDの徹底。AIエージェントが働く環境の設計。決定性と非決定性の新たな境界線 |
| 2026年6月 NEW | ループエンジニアリング | 自動化(Automation)から自働化(Autonomation)へ。自律的な作業ループと停止条件の設計。評価の重要性 |
LLM(大規模言語モデル)の登場は、アセンブラから最初の高水準プログラミング言語への移行と同じくらい、ソフトウェア開発を大きく変えるものです。
また、t-wada氏は「AIと関係なくやるべきことをやると、そこにAIの力が掛け合わされる」と指摘。 各エンジニアリング(プロンプト・コンテクスト・ハーネス・ループ)は、もともと重要だった実践がAI時代によってさらに重要性を増した形と言えます。
技術的負債(本来の意味:Ward Cunninghamのメタファー)に関しては、2025年初頭のVibe Codingではすぐに保守性が崩壊しましたが、 2025年11月以降コーディングエージェントの能力が向上し、保守性に優れないコードは生成されにくくなってきたため、むしろ改善傾向が見られています。
本発表の核心的な概念が「認知負債」です。
Ward Cunninghamの本来の負債メタファー。
人間の理解が先行し、コードがついてきていない状態。
学びを得るためにそのときの理解でコードを書き、学びをコードに反映しないと乖離が生じる。
AI時代の新たな負債。
AIによるコード生成が先行し、人間の理解がついてきていない状態。
従来の負債とは逆方向の乖離が起きている。
t-wada氏は、過去の古典から2つの重要な知見を引用しています。
プログラミングとは、開発者の頭の中に共有された知的構成物(=理論)を構築する活動。コードは二次的な副産物に過ぎません。理論には3つの要素があります:
自動化の皮肉(パラドックス):
t-wada氏は、認知負債に対する解決策として「理解」を中心に据えた実践を提案しています:
AIに「コードを書くこと」や「思考作業」は外注できても、 そのシステムを理解し、理論を構築し、建設的に修正できる能力は人間にしか獲得できません。 これが、AI時代のソフトウェアエンジニアにとって最も重要な武器となります。
本発表は、AIによる開発効率化の表面的な楽観論にとどまらず、 「認知負債」という見えないリスクに鋭く切り込んだ画期的な内容です。 技術的負債という概念が生まれて30年以上、Ward Cunninghamの本来のメタファーを振り返りつつ、 AI時代における「逆方向の負債」を定義した点が非常に洞察に富んでいます。
特に 「Programming as Theory Building」(Naur, 1985)と 「Ironies of Automation」(Bainbridge, 1983)という 古典的知見を引用し、現代のAI開発課題を照らし出す手法は、t-wada氏らしい深い歴史的視点を感じさせます。 開発者・マネージャー双方が「理解を外注しない」という原則を胸に、AIと協業すべき時代の指針と言える資料です。